生活に組み込まれている、『たべる』ということの見直し。

私は料理人向きではなく、それもきっと望んでいない。

羨ましがることにも疲れたし、それをすることは『わたし』がちゃんと創られないと感じた。

わたしがいいと感じたものは否定することなくきちんと受け入れたい。

作る、たべる、という行為はもっとシンプルで、人と人を繋ぐにはそんなに多くの情報はいらないかもしれないと思う。

感じたことを,芯の部分以外丁寧に削ぎ落としていって、その人なりに感じ取れる形に仕上げることもまた料理の形としてあってもいいんじゃないかなと思う。

ほんの少しの日々の移ろいが、日本の四季となって、今を生きていく私たちになにをどんな風に感じさせてくれるのか、もっと丁寧に向き合おう。

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